ミスタープロ野球・山本浩二の思い出

突然ですが、今日は山本浩二のことを書きます。

私がカープファンになった1978年、既に山本浩二は「ミスター赤ヘル」でした。その前のことは知りませんのでコメント欄でフォローをお願いします。

衣笠の時も言いましたが、536本塁打とか10年連続ダイヤモンドグラブとか「選手個人への応援歌は浩二が元祖」とか、誰でも知ってることを書き出すとキリがないので省略します。

今日も私はウィキペディアに載ってないことや載せられないことを書きます。


 

<1>山本浩二は「ミスタープロ野球」と呼ばれていた

山本浩二は言わずと知れた「ミスター赤ヘル」ですが、実は王貞治が引退した1981年以降、山本浩二がミスタープロ野球と呼ばれることが増えました。

これは広島県内の話ではありません。私は全国ネットの野球中継や全国紙が「ミスタープロ野球・山本浩二」と報道する場面を何度も見ました。もちろん長嶋茂雄ほど広く浸透はしていませんが、浩二がミスタープロ野球と呼ばれていたことは真実です。100%自信があります。

1986年に山本浩二が引退すると、1988年に水島新司が当時40歳だった「あぶさん」こと景浦安武を「ミスタープロ野球」と書きました。景浦も1986年にパリーグの本塁打王に輝いていましたが、水島新司は浩二が引退するまで「ミスタープロ野球」の称号を用いませんでした。それは浩二がミスタープロ野球だったからです。

 

<2>送りバントをしたら全国ニュースになった

山本浩二が送りバントをしたニュースが、

全国紙の一面に載ったことがあります。

ただしこちらはうろ覚え。100%自信はありません。80%くらい。浩二がバントして大ニュースになったことは確かです。

たぶん1984年の絶不調時のことだったと思います。長内を敬遠して浩二と勝負された頃だと思います。※参考記事:9長内孝

 

うちは読売新聞と朝日新聞を交互に取ってました。私の親父が朝日を好きだったんですが、読売は野球のチケットをくれる時があったので時々読売を取ってました。笑 私の妹は「またコボちゃんが読める!」と喜んでました。

んで浩二が送りバントした写真が読売か朝日の一面に載りました。確か左上。朝刊だったと思います。カラーではなかった気がする。

バントの写真はなぜか浩二の「後ろ姿」でした。右打席の浩二を左後ろから撮ったもの。浩二のお尻が写ってる写真でした。そんな場所にカメラマン席あったかなあ?

誰か覚えていらっしゃる方がいれば嬉しいです。笑

 

ちなみに山本浩二の打撃成績の中には1977年以降「犠打」が一つも記録されていません。

しかし浩二が送りバントをしたのは真実です。だってこの目で見たんだもん。

たぶんバントを2球ファールして、ヒッティングに切り替えたのでしょう。

新聞一面はうろ覚え。スポーツ欄だったかもしれません。

 

<3>田代富雄がライバルだった

山本浩二は4回ホームラン王を穫っていますが、大洋の田代富雄とタイトルを争うことが多かったです。

田代は春男だったのか、5月頃までよくホームラン王争いのトップを走っていました。

んで夏になると浩二か掛布に追い抜かれるのが定番でした。笑

田代は好きな選手でしたけど、本塁打王に輝いたことはありませんでした。

 

<4>コンバットマーチは3曲ある

山本浩二への応援歌が始まったのは1978年だそうです。

2021年の現在、みんな浩二の応援歌のことを「コンバットマーチ」と呼んでますが、実は有名な「コンバットマーチ」は3種類あって浩二のはそのうちの一つ。

そもそもの元祖は1962年のアメリカのテレビ番組「コンバット」の主題歌。

二つ目が1965年に早稲田大学吹奏楽部が野球部の応援歌として「コンバットマーチ」を作曲したものです。浩二への応援歌はこれと似て非なるもの。早稲田大出身の岡田彰布にはこの早稲田のコンバットマーチが使用されました。

浩二の応援歌を「コンバットマーチ」と呼びますが、ウィキペディアによると「コンバットマーチ」という言葉自体が「応援歌」みたいな意味で使われていたそうです。

ですから浩二の応援歌はほぼオリジナル曲なのです。むしろ元ネタは早稲田のコンバットマーチではなく、慶応大学の「ダッシュケイオウ」に近いとも言われています。プロ野球ファミリースタジアムのBGMは完全に「ダッシュケイオウ」です。

ちなみに山崎隆造の応援歌って浩二の応援歌とよく似ています。

慶彦の応援歌のオリジナリティに比べると、山崎の応援歌にはパクリ感があってちょっと差別を感じますね。ドラ1なんだけどな。笑

 

<5>読みの浩二。ヤマの張本。

浩二は相手投手の球種やコースを読んで打つことに定評がありました。

対照的にロッテの張本勲は「ヤマの張本」と言われていましたが、張本は後に「私はヤマを張って打ったことなど一度も無い」と言いました。

しかし当時のマスコミは浩二と張本を比較して「読みの山本、ヤマの張本」と言っていました。

名前が張本だから「ヤマを張っていたらおもしろいな」と思ったのでしょう。「昭和のセンスだなあ」と思いますが、山本浩二を3000本安打の大打者と比較したこのダジャレはなかなか印象深かったです。

 

<6>引退したのに全日本で四番を張った

1986年、山本浩二はペナントレース終了後に現役引退を発表。

そして日本シリーズで全8試合に「四番レフト」でスタメン出場。ホームラン1本。※1986年の日本シリーズは8試合でした。

スゴい40歳です。さすがミスタープロ野球。

浩二がスゴいのはこれだけではありません。

浩二は11月の日米野球にも「全日本の四番打者」として出場しています。んでホームラン1本。スゴい40歳でしょうが。笑

全日本の3番が2年連続三冠王の落合博満、5番が2年連続40本塁打の秋山幸二でした。ソース:日本プロ野球記録

この時、浩二はカル=リプケンJrに打撃のアドバイスをしたらしい。この時のアドバイスが効いて、リプケンは衣笠の連続試合出場記録を破ることができたのです。←ウソです

 

<7>浩二は小川達明が好きだった

山本浩二は小川達明が好きでした。

1983年、37歳の山本浩二がセンターからレフトにコンバートされると、試合終盤に代走今井と守備固めの小川達明を送られることが増えました。

小川は崇徳高校が春の甲子園で優勝した時の3番打者。1番打者が山崎隆造。

小川もパンチ力のある打撃が自慢でカープに入団したのですが、なかなかバットに当たりませんでした。しかし鈍足の割に守備範囲が広く強肩。主に山本浩二の守備要員として活躍しました。

この小川の背格好がですね、

山本浩二にソックリだったんですよ。

だからどうした?って話なんですが、遠目に見るとレフトが浩二のままなのか、小川に交代してるのかがよくわからなかったんですよ。

しかも背番号8と7ですから、ますます遠目によくわからない。笑

この頃の私は中学生になるかならないかの時期で、プロ野球の面白さがわかってきた時期。

「代打を出せ!」とか「ピッチャー代えろ!」とか言いたくなる時期だったんですよ。笑

だから守備固めの面白さもわかってきた時期。レフトが小川なのか浩二なのか、気になって気になって仕方なかったのですよ。打席に立った時の打撃フォームも浩二と小川はよく似てました。

 

んで浩二の小川好きはこれで終わりません。

1989年、カープの監督になった浩二は西田真二長内孝によく代打小川を送りました。

浩二は1990年までけっこう重度の左右病でした。西田に代えて小川って・・・苦笑

今とはなっては苦笑いで済む話ですが、当時の私は大激怒してましたよ。

「打てるわけねーだろ!」って騒いでました。

西田に代えて代打小川が成功した試しはありません。9番の代打では時々打ってましたけどね。

 

<8>新井と黒田も好きだった

浩二監督は新井貴浩と黒田博樹も好きでした。

野村謙二郎も好きでしたねえ。野村を使うために慶彦をトレードした時の監督は浩二でした。

新井貴浩は浩二と大下剛史に四番サードで随分しごかれました。

浩二は長冨浩志と森笠繁も好きでしたねえ。私は森笠は打てないだろうと思ってましたけどね。

シュールストロムを獲得したのも浩二。私は無理だろうと思ってましたけどね。笑

浩二はトレードもヘタでした。

35歳の高代延博を取った意味もわかんなかったし、片岡光宏を出したのも寂しかった。

榊原聡一郎を出した時も「はあ?」と思いましたし、高木宣宏↔高山郁夫も寂しかった。

 

<9>ピーコと呼ばれていた

これは書かなくていいですね。笑

浩二が監督時代、黄色いメガネをかけていたため、よくネットで「ピーコ」と呼ばれてました。ファッションチェックの人ですよ。

ファンが偉大なレジェンドに向かってこんなこと言うから、前田智徳も黒田博樹も帰ってきてくれないんですよ。

 

<10>オールスターで14発

山本浩二はオールスターゲームで通算14本塁打を打っています。これは日本記録。

山本浩二が王貞治を上回っている日本記録はこれ一つだそうで、ご本人はかなり誇りに感じておられるそうです。オールスター戦の解説で自分でそう語ってました。

浩二は1973年から1986年まで14年連続でオールスターに出場し、主にセリーグの3番や4番を打ちました。

実は山本浩二以降、セリーグの四番を打ったカープ選手は約30年間いませんでした。

江藤も前田も打ってない。新井と栗原も打ってない。

金本は阪神時代に打ちました。

2014年、28年ぶりにセリーグの四番を打ったカープ選手がブラッド=エルドレッドでした。2019年には鈴木誠也も続きました。2019年の誠也はホームラン競争でも優勝しました。

浩二の時代はオールスターが3試合ありました。それに名誉でもありました。ケガしてても出たがる選手が多かった。

浩二の14発を破るのは至難の業でしょう。みんなすぐ休みたがるし、メジャーに行くヤツも増えたし。

 

以上。山本浩二のよもやま話でした。細かいところを間違えてたらごめんなさい。

なにせ浩二の引退からもう35年です。詳しく覚えてる方がおかしいでしょ。笑

SMAPの中居君が山本浩二のモノマネをできます。ホームランを打った後の「走る姿」です。めちゃくちゃ似てて面白いです。

おしまい
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ありがとうございました。

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