00仁平馨[広島東洋カープOB]

投稿日:2018年11月9日 更新日:

仁平馨(にへいかおる)
1971年生まれ。外野手。右投げ右打ち。
1989年ドラフト2位でカープ入団。宇都宮工業高校。背番号43→55→00
プロ通算63安打。しかし本塁打は5本もあります。
西の元木(上宮)、東の仁平と言われたほどの高校生スラッガー。

もくじ
■前田智徳のライバルだった
■プロ初ヒットはサヨナラボテボテ内野安打

■金本の代打に出たことがある!
■ストッキングがクラシックスタイル
■今中慎二と石井一久からHR
■俊足と強肩

■片平哲也に似ている

■前田智徳のライバルだった
1989年のドラフト会議は野茂イヤー。野茂に8球団。
残りの4人は潮崎哲也、佐々岡真司、大森剛、与田剛。
外れ1位が佐々木主浩、小宮山悟、元木大介など。おっとパンチ佐藤もいましたね。
そしてカープが2位指名したのが仁平馨外野手。3位が高校生左腕の前間卓。
4位が熊本工業・前田智徳。6位が富山商業・浅井樹
同じ年に高校生外野手を3人も指名したのは極めて珍しいケース。

入団早々、この3人のうちの2人が
「カープのルーキーが入寮初日から殴り合いの大ゲンカ!」
と週刊ベースボールの記事になりました。
私は顔つきからして「これは仁平と前田だな」と思っていましたが、20年後の浅井の引退の時「あれは俺と前田だった」と告白しました。
いや、前田は絶対に仁平ともケンカしてるって。←確信

上でも書きましたが、甲子園のスター元木大介に次ぐ強打者として仁平は全国に名が通っていました。
当時の私は3番前田、4番仁平、5番浅井のクリーンアップを夢見ました。
1個上には江藤智もいましたが、私の4番候補は仁平馨か江藤でした。ロマンありましたよ。
ちなみに私も同学年であり、同い年で初めてカープに指名された選手がこの仁平。
私も下位指名されないかなーとラジオを聞いていました。
当時の高校3年生はみんなドラフトにかかる妄想をしてたと思います。水原勇気の影響です。ハイ確信。

■プロ初ヒットはサヨナラボテボテ内野安打
1年目から一軍デビューした前田に対し、仁平と浅井はまずは二軍で体作り。
5年目の1994年に期待を込めて仁平の背番号は00に変更。
プロ初ヒットはヤクルトの高津臣吾から。ボテボテのサードゴロが内野安打に。
なんとこれがプロ初ヒット。
1994年4月14日。
マーティ=ブラウンの代走に出て回ってきた延長12回での打席でした。

ちなみにこの時期のカープ、三村新監督の意向で「1番正田、2番野村、3番江藤、4番前田」というヘンテコオーダーで戦っておりました。
私が散々文句言ってた新打順は全く機能せず、一時は15ゲーム差の最下位まで低迷します。
6月にいつもの打順に戻すとカープはようやく調子を取り戻し、最終的には首位に4ゲーム差の3位まで肉薄しました。ビッグレッドマシンの産声です。
ちなみにこの年の1位は巨人で2位中日。10.8頂上決戦の年でした。仁平の初安打。

■金本の代打に出たことがある!
仁平は8月にも殊勲打を放ちます。
1994年8月13日ヤクルト戦。広島市民球場。
8回裏で7対5。2点を追うカープ。
この回から先発の岡林洋一が左腕投手に交代。
先頭の6番音がフォアボール。
すると三村監督、この3打数2安打の7番金本知憲に代打仁平を送ります。
カープは8回に1点を返し、9回に1点を返し7対7の同点。
またしても延長戦。しかも今度は14回。笑
14回裏、1死満塁の大チャンス。途中出場の仁平なのに4打席目。
投手高津。カウント3-1。
なんとここで三村監督スクイズ。成功。記録はヒット。
この時ホームインしたのがかつてのライバル前田智徳。
仁平は金本の代打に出たことがあるのでした。
ちなみに仁平は4番打者(小早川)の代打にも出たことがあります。

■ストッキングがクラシックスタイル
一軍デビューを果たした頃の仁平は同年代の前田や浅井とは体つきが全然違っていました。
非常にスリムで精悍。悪く言えば非力なんですが、いかにも俊敏そうな体つきでした。
そしてストッキングはクラシックスタイル。
完全にベンチを飛び出した瞬間から代走要員まるだしな感じでした。
このスタイルは野村謙二郎が1991年ごろ、日本に流行らせたスタイル。
たぶん私の記憶ではノムケンが日本で初めてやりました。
おそらくメジャーかぶれのノムケンが真似したのでしょう。
しかし当時はあんまり流行らなかったのでノムケンもすぐに封印。
仁平は自己アピールのためか、ノムケンから許可をもらってこのスタイルを引き継ぎました。←妄想
仁平もほとんどふくらはぎ全体が見えるような履き方でした。今は珍しくないけど当時は目立っていましたよ。

■今中慎二と石井一久からHR
仁平のプロ初アーチは1994年。
第1号がT猪俣、第2号がS山部、第3号はS伊東。
1995年には第1号がS石井一久、第2号がD今中慎二から放っている。通算5本塁打。
けっこうビッグネームから打ってます。そして左キラー。
打たないと思って見ていると意外な飛距離に驚きます。
かつてホームランバッターだった名残を感じました。
膝を折りながら、低めのボールをレフト方向にすくい上げるイメージでした。仁平のホームランは。

■俊足と強肩
強打、俊足は高校時代から有名でした。
しかしプロ入り後に驚いたのはその鬼肩。
オープン戦ではよく披露されていましたが、なかなか一軍で見る機会は少なかった。
記録の上では仁平の補殺は3個あるのですが・・・・うーむ、どれも覚えていない。
ほんと一軍で出だした頃のオープン戦だか紅白戦だかで見せたライトからサードへの送球が凄かったのは覚えています。
鈴木誠也か羽生田忠克かというくらいでした。←贔屓目入ってます

■片平哲也に似ている
さあ、よくここまで仁平の話ができるなと我ながら呆れます。笑
最後もう1個だけ。仁平馨は片平哲也に似ている件。
そもそも・・・
片平哲也って誰!?
1988年のオフに片岡光宏&斎藤浩行の二人との実質2対1のトレードで中日からカープにやって来たロマンの塊です。当時21歳。
当時の片岡光宏はポスト衣笠で売り出し中でしたし、斎藤浩行も長年ポスト浩二と言われ続けていた二軍の帝王。
この2人と交換で優勝チームの星野中日からやって来たイケメン外野手が片平哲也。
しかしカープでは全く芽が出ず、最後は投手転向して92年に引退。

なんだよ・・・夢見させるなよ・・・
と思ったら同じような顔で同じようなタイプの仁平馨が登場。
片平哲也の分まで頑張れ仁平!と応援してました。
まあ頑張ったよ仁平。

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おしまい
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