1前田智徳[広島東洋カープOB]

投稿日:2018年11月16日 更新日:

前田智徳(まえだとものり)
1971年生まれ。天才。右投げ左打ち。
1989年ドラフト4位でカープ入団。熊本工業高校。背番号51→31→1
プロ通算2119安打。通算打率.302。295本塁打。

もくじ
■天才
■主役
■引張
■自虐

■天才
伝説のOBたちが口をそろえて言うのが
「NPB史上最高の打者は前田智徳だ」
ということ。

前田が比較されてきた相手は大下弘や榎本喜八。

伝説すぎて私にはわかりません。

前田伝説の数々。
ホームランを打って不機嫌。
ヒットを打って落ち込む。
ヒーローインタビューは拒否。
ファールならある。

これ全部、アキレス腱断裂前の前田智徳です。
もちろんケガ以降の前田も頑張りました。
個人成績も素晴らしい数字を残しました。
でも前田智徳の本当の凄みは1992年~1994年の3年間にあったと言えましょう。

プロ1年目の1990年。
2月のオープン戦で5打数5安打4二塁打。この時点でまだ高校生。
開幕後も守備固め中心に56試合に出場。43打数11安打。打率.256

2年目の91年は開幕戦に1番センターでスタメン出場。先頭打者HR。
19歳でレギュラーを掴むと規定打席到達。
主に2番センターで優勝に貢献。
打率.271、4本、14盗塁、30犠打。
日本シリーズでも郭泰源から決勝タイムリー。ライト線二塁打。

3年目の92年は背番号31で3番に定着。
この年、同い年の新庄剛志(21歳)が台頭。いわゆる亀新フィーバー。
未完の大器・マイク仲田(27歳)も14勝。阪神が2位に躍進。

■主役
4年目の93年。
前田智徳を主人公に据えた「退場処分!」という4コマ漫画が連載開始。
原作は中山ラマダ氏。週刊ビッグコミックスピリッツ。
野武士姿の前田智徳とフリフリ衣装の新庄剛志がコミカルに対決するという内容。
人気の新庄、実力の前田。
いや、ホンモノの新庄は野球も凄かったですよ。
ですけど漫画の中では宇宙人キャラばかりがデフォルメされて、新庄はまるで「ハイスクール奇面組」みたいな扱いでした。ギャグ漫画でしたからね。ごめん新庄。めっちゃおもろかったよ。
前田は完全に宮本武蔵の風貌。顔は怖くて体もいかつい。
「ふざける新庄を睨みつける前田」が毎回定番のオチでした。
当時のビッグコミックスピリッツは週刊少年ジャンプを凌ぐほどの勢いがありました。
YAWARA!、美味しんぼ、東京大学物語などが連載中。
前田は猪熊柔や山岡さんと共にスピリッツの主役を張っておりました。笑


■引張
カープの選手なのにすっかり全国的な人気を博した前田智徳22歳。
孤高の天才。打っても不機嫌。
居合斬り。侍。カミソリスイング。
二軍にいたオリックスの鈴木一朗(19歳)が憧れたのもこの頃の前田。

5年目の94年。前田は首位打者争い。MLBはストライキ。
オリックスの鈴木一朗はイチロー(20歳)になって大ブレイク。
オールスターで「前田さん、握手してください!」と発言。

なんで落合やイチローが前田に憧れたか?
それは前田が「引っ張り専門」だったからです。

アキレス腱を切る前の前田は流し打ちをしませんでした。

外角低めもライトに引っ張る。

これはかなり衝撃でした。
右打者ならいます。引っ張り専門。田淵、衣笠、デシンセイ。
しかし左では滅多にいなかった。今もいない。

当時、日本人の左打者と言えば篠塚利夫や新井宏昌のように「外角低めを流し打ちが格好いい!」という風潮がありました。事実、左打者が走りながらレフトに打つ「当て逃げ打法」は全盛期でした。プロもアマも。
が、前田のバットはいつも一閃、ライト前!
ここまで引っ張りまくった左打者は王貞治くらいじゃないか。
ランディ=バースさえ「ライトへレフトへホームラン」だった時代。
高卒ルーキーが引っ張り専門。生意気ですけどカッコいい。

山本昌が言いました。
「アウトローの直球をライトにホームランされたのはショックでした」
今中慎二は言いました。
「前田にだけはムキになった。審判からも注意されました」
槙原寛己は言いました。
「完全試合の時に前田がケガしててラッキーだった」

20歳から3番を張ってる前田。妥協は一切なし。
前田の通算成績の表に、前田の凄味は載っておりません。
前田の打撃を見た者にしかわかりません。

いつも居合斬りで引っ張りまくり。
ど真ん中は打ちません。アウトローとインハイが大好物。
相手のベストボールをシバくのが本来の姿。
そりゃ人気出るでしょ。落合と清原もこんな感じでした。
怖さに加え、優雅さと美しさがありました、前田の打撃。

■自虐
6年目の95年。MLBにはトルネード旋風が吹き荒れる。
5月23日。前田は神宮球場でアキレス腱断裂。
「前田智徳は死にました」

懸命のリハビリを経て一度は復活。
しかし今度は左足のアキレス腱も痛めてしまう。
それでもごまかしながらプレーを続け実働24年。2119安打。通算打率は.302。
マツダスタジアム開場まで頑張りました。
晩年は代打の切り札。守備機会は5年ぐらいゼロでした。
引退試合で初めてマツダの守備についたシーンは感動的でした。

アキレス腱を切ってからの前田は優しかった。丸くなりました。
「夢の貯金生活」とか「みんなで力を合わせて頑張る」とか送りバントか流し打ちとか。
優しかった。1995年以降の前田。自虐ネタも増えました。
24年間一途にカープで野球を続けてくれました。ありがとう前田。

・・・・

でも私は23歳のツッパった前田が大好きでした。
チームの勝利より自分の打撃を優先していた前田智徳。

お前に言われんでもわかっとる。

若き前田は優等生じゃありません。
アキレス腱を切る前は本当に怖かったんですよ。すぐ睨むし。
でもそれこそがみんなの好きな前田智徳。
チームバッティングなぞ一切しない。
天才。侍。自己中心。引っ張り専門。
だからカッコいい。
アキレス腱のケガがなければ・・・は私の最大の妄想です。
前田智徳。指導者にはあんま向いてないかもなぁ・・

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おしまい
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