14津田恒美[広島東洋カープOB]

2018年11月22日

津田恒美(つだつねみ)
1960年生まれ。炎のストッパー。右投げ右打ち。
1981年ドラフト1位でカープ入団。協和発酵。背番号15→14
津田の個人成績なんぞ意味はねえ! 津田の投げるストレートを見よ!
たぶんこの妄想選手名鑑で一番の長文です。どうぞ最後までお付き合いください!

もくじ
■球団史上初の新人王
■血行障害からの復活
■真っ向勝負
■ライバルたち
■けっこう打たれた
■津田のストレート
■性格
■弱気は最大の敵
■登録名について
■津田大毅さん

 

■球団史上初の新人王
1981年ドラフト会議。
この年最大の目玉は社会人野球、協和発酵の津田恒美。
その他、投手が大豊作で槇原寛己、金村義明、工藤公康、源五郎丸洋、片瀬清利ら。
山口県出身の津田はドラフト前に「巨人ではなく広島がいい」と公言。
見事にカープが単独1位指名に成功。
入団した時の背番号は15番。
1年目は先発ローテーションで27試合に先発。
11勝8敗。ERA3.88。8完投、2完封。
球団創設以来、カープ史上初の新人王を獲得。
以後、小早川、川端、長冨と続く新人王の先駆けとなる。

 

■血行障害からの復活
2年目の1983年も前半戦だけで9勝3敗。
もの凄い良かったんですよ。2年目の津田。オールスターで先発もしました。
津田と言えば1986年の印象が強烈ですが、1983年の先発の津田も凄かったです。
20勝&沢村賞を期待できましたが、肩を痛めてシーズン後半にリタイア。タイトルは最高勝率のみ。
3年目の1984年も成績を落とし、今度は右手中指の血行障害に悩まされる。
カープが日本一となった1984年オフに血行障害の手術。
同時に背番号を14に変更。名前を恒美から恒実に変更。
先発からリリーフに転向。心機一転巻き返しを図る。
手術明けの1985年はまだ球威が戻らず。登板のほぼ全てが敗戦処理。
阪神日本一。古葉監督勇退。
んでこのオフのアメリカ教育リーグで活躍し、復活の礎を築く。

1986年オープン戦で凄い球を投げ、4月4日の開幕戦にベンチ入り。
開幕の相手は中日。郭源治vs北別府
カープは郭を攻略し5点のリード。
しかし7回表に北別府が新外国人ゲーリーにHRを浴びるなど3失点。
ここで津田が登場。北別府の残したピンチを切り抜ける。
8回9回も津田が続投。カープ5-3で開幕戦を勝利で飾る。津田3年ぶりのガッツポーズ!

2回2/3。打者8人を無安打3三振。
この試合、おそらく古葉監督は9回に小林誠二を用意していたはず。
しかし中日のバッターが津田のストレートに全然手が出ないので9回も続投。
伝説の「炎のストッパー」はこの試合で誕生したのでした。

■真っ向勝負
津田と言えばストレート。
特にリリーフ転向後はストレート一本で押しまくる投球。

市民球場ではブルペンカーに乗らず、ライトスタンドから走って登場。
これがまたカッコいい。津田の走り方、超カッコいい。
投球モーションは先発時代のワインドアップからノーワインドアップに変更。
右足のかかとをあげて、伸び上がるようなダイナミックなオーバーハンドから150kmのストレートを投げ下ろす。
投げ終わった後、1mぐらいジャンプする。
躍動感どころじゃない。本当に津田は躍動してました。本当に飛び跳ねていました。

ピンチになればなるほど球威を増すストレート。
そしてピンチになればなるほど達川の返球も速くなりました。笑
1988年のオールスター第2戦、4対1でセリーグリードの9回表に登板した津田。
この時も全球ストレートで3者連続三振を奪うんですが、テレビ中継の終了時間が迫っており、キャッチャー達川がピッチャー津田に返球するボールもものすごく速い球を返していました。

この時の「キャッチボールよりテンポの速いピッチング」がお茶の間にバカ受け。
味をしめた達川は以後も公式戦でこれを繰り返します。笑
強いボールをピッチャーに投げ返す達川。
そのボールを鬼の形相でむしり取る津田。
私も相当練習しました。津田の捕球する姿。そりゃもうカッコ良かったんだから♡
よくよく考えたらランナーがいるのに、こんな危ないこと阿南監督はよくぞ許したもんですね。

NPB公式記録では津田の実働期間は10年ですが、
10年のうち4年は故障と病気で苦しんでいました。

なので本当に一軍で輝いたのは6年間。先発2年、リリーフ4年。
たったこれだけの短い期間なのに巨人ファンも阪神ファンもみんな津田を憶えてる。
津田の投げるストレート。真っ向勝負

そしてそれをフルスイングで打ったライバルたち。
その美しきプロ野球こそが津田の残した野球なのであります。

 

■ライバルたち

原辰徳
1986年に原辰徳の手首を折った津田。
デッドボールじゃありませんよ。
実はこの日、津田のお母様ががんで亡くなりました。

ランディ=バース
1985年に三冠王。1986年も三冠王。
なのに津田。バースに全球ストレート。

工藤公康
1986年の日本シリーズでパリーグの投手にサヨナラヒットを打たれた津田。
ここから4連敗。本気出せば良かったのに。

駒田徳広
実はこの人が津田の最大のライバルかも。
いろいろありました、駒田とは。
後楽園で逆転サヨナラ2ランを打たれたり、市民球場で乱闘騒ぎになったり。

小松崎&岩本&彦野
サヨナラの津田と言われた1988年。
星野青年監督と落合博満を擁した中日が優勝。
津田も中日によく打たれました。ゲーリーと落合を抑えたのに脇役に打たれた。
彦野はレギュラー1年目、岩本は代走ガンちゃん、小松崎は代打の代打。
よく打たれたなあ・・・しみじみ。



■けっこう打たれた

津田と言えばストレート。
伝説の津田。炎のストッパー。
カープ人気投票でいつも上位にランクされる津田。
当時のルーキーたちからも
「目標とする投手はカープの津田さんです!」
と頻繁に言われてました。佐々岡もそうでした。
津田が亡くなったのは1993年。
それから20年後の2012年に楽天からドラフト指名された則本昂大。
彼も「目標は津田さん」と言いました。則本は生で津田を見ていません。
津田の伝説は20年も生き続けていたのです。則本ええやっちゃ。

そんな津田ですが、実はよく打たれてたんです。←私の印象
だってストレートばっか投げるんだもん。そりゃ打たれますって。苦笑
でも当時のカープ選手も首脳陣もファンもみんなが思ってた。
津田で負けたら仕方がない

リリーフ投手ってイメージが不利なんですよ。
当時は地上波テレビしかないし、広島の人以外はカープの試合を見る機会が少ない。
大阪人の私の楽しみはプロ野球ニュース。全国放送。
例えば次のような試合の場合。
「8回に小早川が決勝タイムリー。その後を津田が締めてカープ勝利」
カットされるんですよ、津田のセーブは。
津田が抑えた映像は流れません。小早川のヒットは絶対流れる。
んで、津田が打たれた時は必ずしっかり放送される。
だから私は打たれた津田をよく憶えているのです。
ああかわいそうなリリーフ投手。

■津田のストレート
津田のストレートは何が凄いのか?
山本浩二「ホップするストレート」
道原裕幸「キャッチャーは通常親指でキャッチするが、津田のストレートだけは人差し指にあたる」
バース 「ツダはクレイジーだ」
原辰徳 「なんせ彼は100%ですよ、いつも」
工藤公康「1、2、3で振りました」←日本シリーズ
山崎武司「僕が見たストレートで一番凄かったのは津田さん。うなるボールがドッジボールに見えた」
1987年の解説者「ボブ=ホーナーに直球勝負していいのはセリーグで津田と長冨(浩志)だけ」

当時140kmを投げれば速球投手と言われた時代。
中日の小松辰雄も先発に転向してから150km超はやや減りました。
そんな時代に津田の150km。
ホントに胸のすくストレートでした。
川口和久や清川栄治もピンチになればストレートを投げる投手でしたが、津田はまさに右の本格派。
阪神の藤川球児までこんな火の球投手はいませんでした。
ノビやホップを言う選手もいれば「重い」と表現する人も多かったです。

 

■性格

ひょうきんもので誰からも愛される男でした。
入団会見で巨人をディスった男。当時の巨人は球界の盟主。江川と原。
ルーキーなのに山本浩二に向かって冗談で「おい浩二!」と言ったとか。ソースは浩二の本。
冗談でも言えませんよ。ミスタープロ野球に向かって「おい!」とか。

シーズンオフの運動会で毎年大暴れ。

森脇浩司に愛され、今井譲二と同室、北別府や山崎隆造からの信頼も厚い。
このあたりの人間性も今なお愛される津田の所以であります。

■弱気は最大の敵

そんなひょうきんな津田にも真面目で小心者な一面があります。
清川栄治に謝りまくった話や、夏の甲子園でカーブを投げて1-0で負けた話。
「弱気は最大の敵」は津田の言葉。
座右の銘にしている野球人は多いです。
津田プレートは今なおマツダスタジアムに輝いております。

■登録名について

津田の旧名は津田恒美。
しかし度重なるケガをきっかけに1985年に「恒実」と改名。
登録名じゃありません。本名を改名。
だけど奥様の闘病記にも、息子さんのブログにも津田「恒美」の表記があり、これは一体どういうことなのか・・・
わかりませんけど、ご家族が恒美と書いておられるので、このブログでも今後ずーーーっと恒美さんでいかせていただきます。

■津田大毅さん

津田が亡くなった当時、一人息子の大毅君は4歳でした。
奥さんの実家がある熊本県で育ち、福岡ドームの始球式で津田とそっくりの投球フォームを披露した4歳の大毅君。
その後はプロ野球選手を目指して野球に打ち込む。
古葉監督のいた東京国際大学に編入して頑張るもプロ入りならず。
日本ハムにいた津田大樹投手はまったくの別人。
大学卒業後、会社員を経て2016年に突如自転車で日本一周。
津田恒美記念館をマツダスタジアムの近くに建設するための募金集めを開始しました。
応援しましょう。津田恒美記念館!
※津田大毅さんの公式ツイッター

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おしまい
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ありがとうございました。

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