20北別府学[広島東洋カープOB]

2019年1月16日

北別府学(きたべっぷまなぶ)
1957年生まれ。投手。右投げ右打ち。
1975年ドラフト1位でカープ入団。宮崎県立都城農業高校。背番号20
プロ通算213勝141敗。通算3113回を投げ防御率3.67。
今日も長いですよ。だってペイさんなんだもん。笑

もくじ
■カープのエース
■精密機械
■打撃と守備もいい
■1986年の無双
■ライバルたち
■名球会
■赤いほっぺ


■カープのエース
長谷川良平さん、外木場義郎さん、佐々岡真司、黒田博樹、前田健太。
並み居るカープOBの「エース」の中でも最もエースなのが北別府学ではないでしょうか。
「いや黒田博樹だ!」という人がいても私は賛同しますけど。笑
通算213勝。11年連続2ケタ勝利。そしてカープ一筋。笑
何より私が小学生の時のカープのエースだったんですよ、北別府。
1979年に17勝、1982年には初の20勝で沢村賞。

意外に知られていないのが10年連続30試合以上登板。ペイさんはほとんど離脱しなかった。
これもエースの条件ですね。
いつもチームに北別府がいる。テレビつけたらいつも北別府。
そりゃ小学生でなくてもファンになるでしょ。笑
インパクトのある名字でも得しましたかね、ペイさん。

■精密機械
ペイさんの投球スタイルは精密機械とか針の穴を通すとか、ボールの縫い目の出し入れができるとか。
ペイさんは引退後に「さすがに縫い目レベルの出し入れは無理。ボール半分くらい」と涼しげに語っておられました。
とにかくコントロールがめちゃくちゃいい投手でした。
まっすぐも当時では速いほうの140km前後でしたが、やはりスライダー・シュートでゴロを打たせるイメージが強い。
いざとなればカーブとフォークで三振を獲ることもできました。完投能力も申し分なし。
あまりにストライクゾーンのギリギリに投げるので審判とケンカすることも多かったです。
きわどいコースをボールと言われたら、苦虫をかみつぶしたような顔ではぶてながら次も全く同じコースにピタリと投げ込みます。
審判泣かせの大投手でした。
あと、キャッチャーのサインに首を振ることも多かったです。
そんな時は自分で肩やベルトを触って投げたい球種のサインを出してました。ペイさん。

■打撃と守備もいい
そんなペイさん。ピッチングだけではありません。
守備も牽制もいい。
同じ時代に西本聖がいたのでGG賞はわずか1回のみですが、安定感のある守備でした。
クイックはあまり使いませんでした。セリーグに福本豊はいなかったので。
ただ牽制は巧いし、セットポジションも長い。これでチームメイトから嫌われていたフシもありますが、相手ランナーもいやがってたと思います。
打撃もいいんです。
通算打率は.135ですが、いいところでよく打ちましたし、簡単に三振しませんでした。
本塁打5本も打ってますがペイさんと大野豊はアベレージヒッタータイプでした。川口和久は大振りでしたかね。

■1986年の無双
そんな凄いペイさんが一番凄かったのが1986年。
タイトル総なめ&MVP。紛う方なき大車輪の活躍。
ぜひシーズン後半の無双っぷりをご覧下さい。

7/25△1-1 11回4安打4三振1四球1失点 阪神(甲子園)
8/1〇4-2 8回6安打4三振1四球2失点 巨人(広島)
8/7〇3-2 9回9安打6三振0四球1失点 大洋(横浜)
8/13〇6-1 9回8安打4三振0四球1失点 大洋(広島)
8/20〇3-2 8回8安打6三振2四球2失点 中日(ナゴヤ)
8/26●2-12 4回8安打4三振0四球5失点 巨人(後楽園)
9/1〇2-0 9回2安打5三振2四球0失点 巨人(広島)
9/13〇4-3 9回10安打4三振1四球3失点 ヤクルト(広島)
9/21〇2-0 9回7安打4三振1四球0失点 大洋(横浜)
9/27〇2-0 9回4安打5三振0四球0失点 大洋(広島)
10/2〇6-1 9回5安打1三振0四球1失点 阪神(広島)
10/7〇3-0 9回8安打4三振2四球0失点 中日(広島)
10/12〇8-3 8回7安打6三振2四球3失点 ヤクルト(神宮)

7連勝含む11勝1敗。13試合中で9試合に完投。
特に9/27からの4連勝は全て中4日。
10/12が伝説の優勝決定試合。津田に胴上げを譲った神宮球場。
点差も余力もあったのに津田にマウンドを譲った29歳のペイさん。すっかりベテランの貫禄です。笑

9/1時点で2位カープは首位巨人に5.5ゲーム差をつけられていました。
しかしカープは9~10月を21勝8敗(勝率.724)
巨人も8連勝などを含む16勝8敗(勝率.667)
歴史に残るデッドヒートでした。

津田の豪球で原の右手首を骨折させたのが9/24。
しかし巨人は意地を見せ9/25から8連勝。
巨人9連勝を狙った10/7のヤクルト戦。
G槇原がSブロハードに逆転2ランを浴びました。129試合目でした。
一方カープは北別府の完封勝利。ゲーム差なしで首位に立つ。マジック3。残り4試合。巨人は1試合。

10/9はカープも巨人も共に勝ち、マジック2。巨人は75勝48敗で全日程を終了。
10/10金石が阪神を完封してマジック1。残り試合2。
これでもう大丈夫みたいな空気になりました。笑
私の一番興奮したシーズンがこの1986年です。
当時の好きな言葉は「中4日、無四球完投勝利」でした。

■ライバルたち
2歳年上の江川卓。
ペイさんが20勝を挙げた1982年は江川が19勝でした。
19勝同士で迎えた10/9。江川は今シーズンラスト登板。大洋戦。
4回3失点で敗戦投手。
翌10/10。北別府が中日相手に完投勝利。20勝目をマークしました。

7歳年上の東尾修。
スライダーシュート投げ分ける、似たタイプの大エース。
東尾の方がちょっとオラついていて、ペイさんは神経質そうなイメージでした。当時。
両者とも今で言う「フロントドア」の使い手。
黒田のフロントドアは左打者の内角にシュート(ツーシーム)を投げます。
ペイさんと東尾のフロントドアは右打者の内角にスライダーを投げていました。
開発者は東尾。ペイさんはそれをパクった参考にしたのだそうです。
1987年にはG桑田真澄(20歳)が北別府を参考にこのボールを駆使して15勝を挙げました。

大野&川口
1980年代のカープには三本柱と言われた3人のエースがいました。
北別府、大野、川口。
みな開幕投手経験者で、それぞれが巨人戦に強かった。
30代になって疲れの見え始めたペイさんの代わりに大野や川口が巨人戦のカード頭を任されることも増えました。
ペイさんは20歳の時からエースだったので、私は長い間、大野豊より年上だと思っていました。こういうカープファンは多いはずです。確信

■名球会
1992年7月、ペイさんは200勝を達成。
鈴木啓示の317勝、山田久志の284勝、東尾修投手の251勝。
1978年の鈴木啓示を最後にシーズン25勝以上する投手はいなくなりました。
江夏豊がリリーフ革命を起こしたのもこの頃。
本格的に「投手分業時代」に突入し、北別府が最後の200勝投手ではないかと言われました。
(後に工藤公康、野茂英雄、山本昌広、黒田博樹も達成します)

通算200勝以上挙げた投手は24人いますが、名球会入会については「昭和生
まれ」という条件があるため名球会入りした投手は20人しかいません(このうち3人はリリーフ投手。佐々木、岩瀬、高津。金田、堀内は退会)
ちなみにバッターは53人。
先発投手の名球会入りは本当にハードルが高くなりました。
2019年現在、名球会理事長は我らが山本浩二です。

■赤いほっぺ
最後。正月の番組で岡田明丈が北別府学を知らなかった件。
36歳年上の伝説のOBを知らなくったって私はオカちゃんをディスりません。
あの番組で出てきた写真は1982年のペイさん。オカちゃんは1993年生まれ。しかも私たちのような鯉キチではありません。ペイさんの現役時代を知らないのも無理はない。
ペイさんは鹿児島県出身。
宮崎の都城高校は甲子園の常連校でしたが、なぜかペイさんは都城農業高校。
んで現在はブログで家庭菜園のことを嬉々としてご報告なさっています。繋がってるんだなあ・・・笑

若かりしペイさんは「赤いほっぺ」がトレードマーク。
眉毛も太くて男前でした。女性人気もありましたが、あんまり笑わなかったなあ。
いつも苦虫をかみつぶしたような顔。
今で言うとロッテの涌井秀章みたいなイメージです。若かりしペイさん。

私が一番得意なモノマネがペイさん。
特に「セットポジション」が得意なんですよ。←マニアック
右足かかととグラブを同時に持ち上げる投球フォーム。
投げ終わった後、審判をにらみつけて後ろすり足でマウンドに戻る。
この「後ろすり足でマウンドに戻る」動作がまた涌井に似てるんです。笑
転ぶと危ないので普通の投手はボールを受け取って後ろを向きます。
ペイさんと涌井はすり足で戻りながらボールを受け取ります。
ケガすんなよ。涌井。

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おしまい
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