妄想対談 栗原健太vs新井貴浩 part1

2017年6月10日

私の妄想記事です。
マエケンと栗原が出ていった年にカープが優勝して、新井がMVPに輝くという、運命のいたずらを振り返りたかったのです。
以下は完全にフィクションです。暖かい目でごらんくださいませ。

広島東洋カープの「若きキングコング砲」として活躍した栗原健太さんと新井貴浩選手の夢の対談がテレビ新広島・春の特番で実現!
遡ること2007年シーズン。
マーティ=ブラウン監督の2年目である。
この年のカープはエース黒田の「男気残留」に大いに沸いていた。
1・2番コンビは新人王・梵英心に、復活なった天才・東出輝裕。
3番、4番は栗原、新井のキングコング砲。
5番以降もベテランの前田智徳、緒方孝市、嶋重宣らが控えていた。
この年、キングコング砲はお互いキャリアハイとなる成績を残し、若きスラッガーコンビでカープの黄金時代到来を予感させたシーズンだった。
しかしその年のシーズンオフ、カープをFAという名の激震が襲うことになる・・・

司会
みなさん、こんばんは。夢の妄想対談にようこそ。
今日は広島東洋カープの新旧四番対決とでも言いましょうか、ベテランになったキングコング砲と言いましょうか、広島東洋カープの第47代四番打者、新井貴浩選手と、第52代四番打者の栗原健太さんでーす。(拍手・パチパチパチ)

新井&栗原
(苦笑いで登場)

司会
ようこそ、TSS「カープ栄光の部屋」へ

新井
なんですか?ベテランのキングコングって(笑)。一人はもう引退してますし。

栗原
ははは、よろしくお願いします。

司会
よろしくお願いします。
えーでは早速ですが、こちらのフリップにお二人の入団から2007年までの打撃成績をご用意しました。
新井さんが1998年のドラフト6位で入団。栗原さんが1999年のドラフト3位入団です。
新井さん、FA移籍までのこのご自身の成績、いかが思われますか?

新井
うーん、改めて見てみると意外と早熟というか、ルーキーイヤーから結構数字を残してますね。
僕は即戦力タイプではなかったので、2~3年は二軍かなと思っていました。
それがほら、1年目から100打席、200打席、300打席と来て、4年目に500打席でしょ。
なんだかドラフト1位の即戦力野手みたいな成績ですよね。笑

司会
栗原さんはご自身の数字をどうお感じですか?

栗原
僕は3年目の2002年がプロ初打席でした。
阪神の藤川投手から打ったプロ初ヒットが初ホームランだったことが印象的です。
2003年はもうちょっと打てると思ってたんですけど、一軍では新井さんが四番ファーストで出ておられて、その頃の僕はまだまだサードで一軍のゲームに出場できるレベルじゃなかったんで、新井さんとポジションがまるかぶりだったんですよね。

新井
この年が僕のトラウマにもなった「新井四番伝説」の年ですよ。
金本さんが今でも散々茶化すんです。「打率は2割3分6厘で~、ホームランはたったの19本で~」ってな具合に。
飲み屋のカラオケのマイク持って、後ろで八代亜紀さんの演歌とか掛けながら、本当5分ぐらいかけて最後までやるんですよ。「三振何個、得点圏打率何割」とか全部。あの人、僕の2003年の成績を全部暗記してるんです。

栗原
ゲッツーもですか?

新井
あっははは、もちろん、もちろん。そこは自分の声でエコーをかけたりして「ゲッツー16個は~、セリーグ・ゲッツー王~」とか言って。

栗原
阪神時代ですね。

新井
そう、阪神時代。

司会
栗原さんは2004年以降、出場が増えて、本塁打が二桁になりました。

栗原
そうですね、2004年も引き続き新井さんが絶不調だったので(苦笑)、6番ファーストを僕ら二人が交代交代で出場してたシーズンです。
で、2005年になると今度は野村謙二郎さんがファーストにコンバートされて、7番ファースト野村さんになっちゃったんです。この年の夏に野村さんが2000本安打を達成されて、その後若手に切り替えるということで僕がサードやファーストで試合に出られるようになりましたね。

司会
新井さんのホームラン王もこの年でした。

新井
そう、2005年。これも金本さんに「43本塁打で94打点」って歌われちゃって。笑
本塁打数の割に打点が少ないってことなんですけど、あの年は1番2番がなかなか固定できなかった年ですし、僕6番だったんですけど、5番の前田さんも30本くらいホームランを打ってて、僕の前にはいっつもランナーがいなかったんですよ。苦笑

司会
2005年は新井さんがホームラン王で、栗原さんが打率.323のホームラン15本。

栗原
そうですね、レギュラーに近づいたというイメージを持った年ですね。

司会
そして2006年、栗原さんの背番号がそれまでの50番から5番に変わり、大活躍が始まります。

栗原
この年から監督が山本浩二さんからブラウンに変わるんですが、この年は僕は6番ファーストで出場することが多かったです。
しかし後半戦で腰をやっちゃって、結局最後までフルシーズン出場することはできませんでした。

司会
一方、新井さんはホームランを減らして打点を増やしてきました。

新井
ええ、初めて100打点超えました。マーティがメジャー流の野球をカープでやるというので、ピッチャーは中4日100球とかやってましたが、バッターはケースバッティングという言葉で練習させられてましたね。

栗原
僕はあれが理解できなかった。今でもよくわかんないです。苦笑

新井
おまえ今、バッティングコーチやろ!?笑

栗原
いやいや、ほんとケース打撃って奥が深いんですよ。

新井
俺、こう見えて、わりと得意だよ。(ニヤリ)

栗原
ほんと、新井さんて意外に器用ですよね。

新井
ケース打撃は頭が良くないとできないよ。あっはっはっは。

栗原
今の・・・と言うか、緒方監督以降のカープは劇的にケース打撃が向上しましたよね。あれは僕もびっくりしています。

新井
ブラウンの遺産でもあるけど、やっぱり琢朗さんやな。

司会
まあまあ今の話はもうちょっと後でお願いしますので、今は2006年に戻りましょう。

新井
ですからマーティがアウトになるなら右に打てって酸っぱく言ってくるんですよ。
でも緒方さんとか前田さんとかはプライドが高くて、全然マーティの言うことを聞かないの。
俺の求める打撃はこうじゃない、みたいな。
結局、カープのケース打撃が全く機能しなかったので、5月頃からは「自由に打て」ってなっちゃった。笑

栗原
そうでしたね、4月は全く点が取れませんでしたね。

新井
打順も1番緒方さんで2番が前田さんとか、おかしなことになってたよね。
5月の交流戦あたりから梵と東出が出てきて、ちょっと落ち着いた印象やね。

栗原
結局ブラウン時代のケース打撃はカープに馴染まなかった。
馴染んだのは新井さんと石原さんくらい。

新井
で、石原なんかバッティングを崩しっちゃって、今も戻らない。大笑
今の人は信じないと思うけど、石原ってあのころ「打てるキャッチャー」と思われてたよな。

栗原
実際、よく打ってましたよ。忘れたころの満塁ホームランとか3ランとか。

新井
それがブラウンに右打ちばっかりさせられて、球を強く引っ張れなくなっちゃった。
でもブラウンからは評価されて、あれで石原も正捕手に近づいたよな。
打順も2番石原とかあったもん。意味わかんないけど。
ケンタもあんまりケース打撃は得意じゃなかったよな。

栗原
そうですね、前の年に自信を付けたもんだから、この年はホームラン王を獲るぞって。
口にはしませんけど、本気で狙ってました。
ランナーがどこにいてもツーストライクまではホームラン狙いでしたよ。

司会
結局ブラウン1年目、カープはいつも通り5位。
新井さんは.299、25本、100打点で2回目の全試合出場を果たしました。
そして栗原さんは8月に椎間板ヘルニアでリタイアするまで、101試合で打率.295、20本、69打点でした。

新井
この年はケンタも30本100打点、いけたよな。

栗原
そうですね、7月に初めて月間MVPをいただいて、それで8月にリタイアですから悔しかったことをおぼえていますね。

新井
7年目で月間MVPか。今の堂林と同じ歳だな。

栗原
もっと早く獲りたかったです。

part2に続く…

おしまい
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ありがとうございました。

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