妄想対談 栗原健太vs新井貴浩 part2

2017年6月12日

part1からの続きです。

司会
さて、それでは問題の2007年シーズンに参りたいと思います。

新井
なんですか、もう!、問題って。笑

栗原
(笑)

司会
新井さんはこの年、フリーエージェント権を獲得されます。
そして、さんざんファンやマスコミに対して「移籍しません」というような発言を繰り返しておられました。

新井
はい、事実です。

司会
そんな中、エースの黒田さんが伝説の「男気残留」を決め、新井さんもFA行使しない発言。
ブラウン監督は2年目で「俺が退場すれば必ず勝つ」神話も継続中。
そして何より、この年からセリーグにもクライマックス制度が導入され、お二人の入団以来初のAクラス入りにも期待がかかりましたよね!

新井
そうですね、2007年の入りは黒田さんがメジャーから復帰した2015年に通じるものがありました。

栗原
僕もこの年は腰の手術をしたおかげで非常に体調が良かった。
この年はもう口に出して「ホームラン王を狙う」って言ってましたから。

新井
なんか「ポテンホームランを狙う」とか言ってたよな。

栗原
そうです、ちょっとバットを長くしてアウトローの変化球を、旧市民球場のポール際に運ぶイメージです。

新井
そうすりゃホームランが増えると。

栗原
そうです。新井さん越えの50発が目標でした。

新井
やっぱり四番の座を狙ってた?

栗原
そりゃもちろん。もう25歳でしたし、タイトルも一個もないですし。

新井
そうか、現役時代にこういう話をもっとしてればよかったな。

栗原
話をしていれば、阪神に移籍しませんでしたか?

新井
いや、それはわからん。
でも俺とケンタはあまり話をしてこなかったなと思ってね・・・

栗原
入団以来、もともと新井さんをライバル視してましたし、追いつき追い越せと思ってました。
それがあのFA移籍で決定的になりました。

新井
実は僕たち、話をするの10年ぶりなんです。

栗原
そう、2007年のオフ以来です。

司会
ということは、新井さんが阪神に行ってから初めてですか。

新井&栗原
初めてです。

栗原
実は新井さんは移籍後も何度かグラウンドで僕に声をかけてくれたんです。
でも僕は完全に無視してました。

新井
そうやったなあ。

栗原
もうカープファンのブーイングが凄かったですからね。
新井さんとしゃべってるところをファンに見られたら、バッシングが凄いことになりそうで怖かった。
東出さんや石原さんはグラウンドでも平気で新井さんと話をするので「この人たち勇気あるな」と思ってましたよ。

司会
2007年シーズンは、結局交流戦で大きく負け越し、先発投手陣も崩壊。
「黒田で負けると次の黒田まで10連敗」というチーム状態に陥ります。

新井
あなたけっこうボロクソに言いますね。苦笑
でもその通りなチームだった。

司会
その黒田さんがメジャー移籍濃厚と囁かれる中、2007年11月8日に新井さんのあのFA宣言が飛び出します。
まず新井さん、その時のお気持ちを教えていただけますか。

新井
本当、あの頃はボロクソなチームで、金本さんも野村さんもいなくなって、現場からフロントに物申せる人がいなくなった。当時、選手会長の倉さんと僕とでいろいろリプジーやブラウンとも話をした。
鈴木本部長も今は新球場ができて、大盤振る舞いをしてくれているけど、あの頃は本当にゴーンさんみたいなコストカッターだった。補強をしてくれ、球場のここをこうしてくれって頼んでも、のらりくらりとかわされていました。

栗原
横山さんとか小山田さんも「中継ぎの年俸が安すぎる」ってよくボヤいてましたね・・・

新井
当時、僕が要望してたのはピッチャーを獲ってほしいのと、球団としての選手の故障対策。トレーナーさんや栄養士さんも含めてね。
それからコーチをカープのOBだけでなく、外部からどんどん招聘してほしいとか。
それに対して球団からの明確なYESがない。これがストレスでしたね。

栗原
今思うと、当時から新井さんはカープ全体のことを考えておられた。
でも当時の僕は新井さんが出ていく時の、あの記者会見を見て、カープファンの皆さんと全く同じ感想を持ちました。
「だったら出ていくなよ」と。
本当、今日は10年ぶりにお話ししますけど、こんなに突っ込んだ話をするのは初めてかもしれない。
新井さんのFA宣言もまったく寝耳に水でした。宣言は無いと信じ込んでました。

新井
俺もカープの選手には全然相談しなかった。
相談したのは金本さんだけ。

栗原
金本さんからは何と言われたんですか?

新井
最初は「お前は残れ」と言われたよ。お前が出ると広島の街を本気で敵に回すぞと。
黒田も出ていくだろうから、お前はあと1年残ったほうがいいと。

栗原
それでも踏み切ったのはなぜですか?

新井
金本さんと一緒にやりたいと、カープを捨てて出て行けないが、あのころ本当に天秤でぴったり釣り合ってた。
そこにちょっとだけそよ風が吹いて、たまたま阪神のほうに傾いたって感じ。

栗原
またそんな中途半端なコメントして、これ見てるカープファンがイラッときそうですね。笑

新井
でもほんまの本心なんよ。
練習に行く時間だから、もうサイコロで決めようか!みたいな勢い。
それぐらい悩んでた。
何が決め手かと聞かれても、自分でもわからない。
黒田さんもカープに残留はしたものの、何も変わらない2007年にずっとモヤモヤしてたみたいだし。

栗原
まあ、僕らは団結しましたね。阪神だけには絶対負けないって。笑

新井
うん、その気迫はヒシヒシ感じた。
ファンの人からも「阪神だけには絶対負けない」って空気を感じた。

司会
ほぼ最下位の5位だった2007年のチームから、さらに四番打者と絶対エースが抜け、ブラウン3年目の2008年シーズンは前途多難な船出となりました。
しかし終わってみれば、3位中日に肉薄しての4位。
広島市民球場のラストイヤーは初のCSかと大いに盛り上がりました。

栗原
コルビー=ルイスが凄かったですね。でも実はカープが頑張ったんじゃない。
2008年は北京オリンピックの年で、Aクラスのチームからは主力がごっそり抜けた。
なのにカープから一人も選ばれなかった。
そのドサクサでちょっとだけ躍進できたんですが結局4位。CSには出られませんでした。

司会
新井さんはその北京オリンピックで全日本の四番打者を努め、その後も阪神で7年間プレー。
栗原さんは2008年オフに初めて右ひじの手術に踏み切りました。

栗原
そうですねぇ、ここから右ひじのネズミとの戦いが始まりましたね。

part3に続く…

おしまい
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ありがとうございました。

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