53秋村謙宏[広島東洋カープOB]

秋村謙宏(あきむらのりひろ)
1966年2月生まれ。投手。右投げ右打ち。
1989年ドラフト外でカープ入団。山口県立宇部商業→法政大学→日本石油。背番号53→47
佐々岡真司、前田智徳と同期入団の即戦力ルーキーでした。

もくじ
■150kmの即戦力右腕
■野球エリート
■1991年の秋村
■審判員へ転身

 

■150kmの即戦力右腕

秋村は佐々岡と同期。
ってことは野茂英雄と同期で与田剛とも同期。
佐々木主浩とも小宮山悟とも潮崎哲也とも同期。神ドラフトのあの年。1989年。
秋村はドラフト外でしたが、大卒社会人出身で「即戦力」との高評価でカープ入団。
実際ルーキーイヤーの1990年開幕戦(4月7日)で大野豊がKOされた後、2番手でプロ初登板。2回2失点。
同じ日にヤクルトの内藤尚行(21歳)は東京ドームでG篠塚利夫(33歳)に疑惑のホームランを打たれ、与田剛は150超を連発する鮮烈デビューを飾っていました。
あの有名な日に秋村謙宏はひっそりプロデビューを果たしていたのです。
ちなみに野茂の初登板は4月10日。私も藤井寺にいました。

 

■野球エリート

秋村は宇部商業で甲子園にも出場しています。
プロからも注目される存在でしたが進学を希望し、法政大学へ入学。
大卒時はプロ入りを希望するも指名漏れ。
名門日本石油でドラフトを待つも指名はなし。
カープがドラフト外で入団交渉しますが、日石側は「うちのエースをドラフト外で広島なんぞに出せるか」という考え。
しかし秋村は「プロで結果を出してみせる」と意気込みカープ入団。

24歳の秋村は同い歳の紀藤真琴をライバル視していたそうです。
当時の紀藤は津田恒美とダブルストッパーを組んでいたプロ7年生。
ドラ1の佐々岡が入団会見で「目標は津田投手」と発言しましたが、秋村の150kmも津田や紀藤に決してひけを取りませんでした。
佐々岡のストレートは津田というより川口和久のようなスピン量の多いストレートでした。
秋村の方こそ津田や川島堅のようなホップするストレート。肩幅も与田に負けていませんでした。
私も大いに夢を見ました。秋村謙宏に。

 

■1991年の秋村

1年目の秋村はリリーフで33試合に登板してERA3.63。立派な数字を残します。
その勢いで91年も2年連続開幕一軍。
91年のチーム初黒星を挙げる快挙(?)も果たす。同点の8回裏に1失点。
その4日後に津田が川相と原にヒットを打たれ、生涯最後の登板となりました。
チームは優勝するも秋村は故障に泣き、わずか10試合登板に終わる。日本シリーズにも登板せず。
ちなみに秋村の背番号53は後に福地寿樹と横山竜士、林昌樹へと引き継がれます。けっこう栄光です53番。トッティ・・・

 

■審判員へ転身

その後の秋村は球が遅くなり、背番号を47番に変えたり日本ハムに金銭トレードされたりした後、8年間のプロ生活に別れを遂げました。1997年オフ。
1998年に審判員の資格を取り、1999年にNPBの審判員としてパシフィック・リーグ審判部に入局。
以後、審判としてオールスターゲームや日本シリーズにも出場しました。
馬面の佐々岡に対し、奈良の大仏のような顔の秋村ですが、2019年のセリーグ公式戦で佐々岡一軍投手コーチ、与田剛中日新監督らと再会を果たします。

2019年5月25日の公式戦では広島のレグナルト投手にボークを宣告。
「宇部商OBのくせにボークを宣告できるのか」と私は感慨にふけりました。笑
※参考記事:宇部商業とサヨナラボークの話(2019.5.25)

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おしまい
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