衣笠選手の思い出

2018年4月23日、衣笠祥雄さんがお亡くなりになりました。
71歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

 

私は40年カープファンをやっていますが、初めて握手してもらったプロ野球選手が衣笠選手でした。
デーゲーム後の甲子園球場でした。暖かい手でしたよ。

 

2215試合連続出場とか、国民栄誉賞とか、カープ球団史上最多の2543安打とか。
デッドボールを受けても決して怒らないジェントルマンだったとか、骨折した翌日も試合に出続けたこととか。
これらは日本人の誰もが知っている衣笠祥雄さん。
以下はちょっとマニアックな衣笠祥雄さんを紹介します。

 

<1>実はデッドボールに怒ったことがある
私は憶えています。高橋、衣笠連続デッドボールで、衣笠はマウンドまで詰め寄り、右手に持ったバットを相手投手に向けてなにか文句を言いました。
ちょっと相手が誰だったかはうろ覚えなんですが、巨人の西本聖じゃなかったかなあ・・・
あの時は許してやったけど、お前いい加減にしろよ!みたいなイメージです。←これもうろ覚え
とにかく私が覚えているのは衣笠が珍しく怒ったこと。そして私も「こりゃひどいわ、怒って当然だ」と思ったことです。
まあしかし私の記憶にあるのはこの1回だけ。
衣笠はデッドボールを当てられても、いつも投手に右手をあげて「いいよ、いいよ」って仕草をしながら一塁へ歩いて行きました。

 

<2>昔のカープは「2番サード衣笠」が結構多かった
1番高橋、2番衣笠ってオーダーはわりと「普通」にありました。
三振が多く、荒っぽいホームラン打者のイメージの衣笠が2番。
7番セカンドに木下富雄がいたんで、
「なら2番木下、7番衣笠でいいんじゃね?」
と小学生ながらに思っていましたが、衣笠はバントも得意でしたし足も速かった。
ん? キクに似てるな。
今じゃメジャーリーグの2番打者がホームラン王を獲る時代です。先取りしていたんですかね。
ま、1番とか4番とかも多かったです。衣笠は何番でもできたんですね。

 

<3>セーフティーバントが大好き
これは有名かな。衣笠さん、実はセーフティーバントが大好き。
山本浩二が送りバントをすれば新聞の一面で「浩二がバントした!」とニュースになる選手でしたが、衣笠は意外にバント好きです。
衣笠さんの必殺技は「ランナー3塁でのセーフティーバント」
スクイズじゃありません。セーフティーバント。特に2アウト3塁でよくやってました。
私はこのプレーを最低5回は見ています。
私は子供の頃から大阪在住でしたので、実質的にカープの試合は阪神戦と巨人戦しか見ていません。(あと日本シリーズ)
それなのに衣笠のランナー3塁からのセーフティーバントを5回以上見てます。←確信
だって私、小学生の時に猛練習しましたもん。ランナー3塁でのセーフティーバント。
もう小学生の私にまで「あ、衣笠がまたアレをやるぞ」と読まれるくらい頻繁にやっていました。笑
衣笠って送りバントとセーフティーバントのフォームが違うんですが、セーフティーバントの構えがクラシカルでカッコいいんですよ。
どんな感じかというと慶彦や木下のセーフティーはいかにも「来た!」って感じでびっくりするんですが、衣笠のセーフティーは
「えっ、いつやったの?」
って感じで一瞬守備側の判断が遅れるんです。
バットをサッと引いて構えるんじゃなくて、打撃フォームから力を抜いて重力でバットが倒れるようにバントの構えをするんですよ。
んで、バットが重力で倒れてる最中にボールがバットに当たっているようなそんなイメージです。
言葉では説明できませんが、とにかく美しいセーフティーバントでした。

もちろんスクイズじゃないんで、ほとんど自分もセーフでしたよ。
ランナー2塁の時はあんまやらなかったなあ・・・

<4>日本シリーズで三塁線のファールライナーをダイビングキャッチしたことがある
私は1975年の日本シリーズを見ていません。3歳でしたから。
なのでこのプレーは1979、1980、1984あたりの日本シリーズであった驚愕のプレー。
衣笠は右打者が引っ張った三塁線の強烈なライナーをダイビングキャッチしたことがあるんです。
フェアゾーンじゃありません。ファールラインの1メートルくらい外のライナーです。
信じられます?
「なんて守備範囲だ!!」
と小学生の私はたいへんビックリしました。
私はサードの衣笠が1歩か2歩走って、ファールゾーンの弾丸ライナーに飛びついたと記憶しております。
んなことできるでしょうか? もしかしたら弾丸ライナーではなくハーフライナーだったのかもしれませんね。
2016年6月7日の日本ハム戦で安部友裕がやはり3塁線のファールライナーをジャンピングキャッチしたんですが、この時に私は思わず
「衣笠かっ!!!」
と叫びましたもんね。
この時の安部も、もの凄いプレーでした。

 

<5>慶彦に悪い遊びを教えたのは衣笠と江夏
慶彦を六本木に連れていったり、女遊びを教えたのはこのお二人。
これもまあ有名な話ですかね。ヨシヒコが練習したいから帰ると言っても衣笠と江夏が睨みつけると帰れなかったとか・・・
このコンビはNPB史上一番コワいです。

 

<6>衣笠はライトにもホームランを打ったことがある
衣笠の打った通算本塁打数は504本。歴代7位タイ。
そのうちの90%がレフト方向。9%くらいがセンター方向だと思われます。←私の記憶
そしておそらく504本のうちの4本くらいはライト方向に打っていると思うんです。←想像
実際、私は一度だけ衣笠が市民球場でライトに打ったのを見たことがあるんです。
どなたか衣笠のライトへのホームランを覚えている方、コメントをお願いします。
私の1本は確かポール際でした。そしてデーゲーム。日本シリーズかオープン戦かも定かではありません。
とにかく衣笠のライトへのホームランは非常に珍しいのであります。

 

<7>片岡光宏は外木場の後継者でもあり、衣笠祥雄の後継者でもあった
衣笠の現役最終年1987年。6月頃にベーブ=ルースの盟友、ルー=ゲーリックの連続試合出場記録を更新。
「2131」の赤い人文字が市民球場の外野に輝きました。
そして夏場以降、7番サード衣笠(40歳)は試合を2打席で退くようになり、5回あたりから登場するのが片岡光宏(25歳)でした。
片岡は1979年に投手として入団。ドラフト1位。前年までエースの外木場義郎の背番号14を継承。
しかし片岡は肩を故障して、1984年のオフに打者に転向。背番号も44となる。
同年、津田恒美が背番号15から14へと変更なりました。
片岡は1987年に一軍で活躍。代打本塁打を連発してミラクル片岡と呼ばれます。
んで、四番を打ったりもしたんですが、好調は長続きせず1988年オフに大洋にトレードされます。
この時の大洋の監督は古葉監督でした。
片岡さんは現在、宮崎日南市で広島風お好み焼き店を経営しています。

 

<8>なぜかいつも標準語
京都の名門・平安高校出身の衣笠。
広島カープ22年の衣笠。
しかし彼の口調はなぜかいつも標準語。関西弁でも広島弁でもありませんでした。
インタビューだけじゃないんですよ。時折放送される浩二や江夏との会話の中でも標準語。
そして審判への抗議もいつ標準語でした。笑
ジェントルマンなイメージの衣笠ですが、実は審判にはよく文句言ってました。笑

「そりゃないよ、平光さーん」

<9>胸毛がすごい
これも有名ですね。失礼しました。
金のネックレスも衣笠が流行らせたんじゃないですかね?
胸毛とネックレスのハーモニーはインパクトありましたねえ・・・

 

<10>木村拓也による衣笠祥雄のモノマネが秀逸
たぶん過去に衣笠祥雄のモノマネをテレビでやった人はBBゴローさんと巨人時代の木村拓也選手だけだと思います。
BBゴローさんは慶彦と池谷はとっても似ているんですが、衣笠はイマイチでした。
しかしキムタクの衣笠は凄いです、めっちゃ似ています。

 

取り急ぎ、思いつくまま書きました。
71歳。星野仙一さんもそうですが若すぎます。
私がプロ野球ファンになった時の四番打者やエースの方々です。
浩二さんも江夏さんもお体を大切に。
カープの背番号3よ、永遠なれ。
おしまい
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ありがとうございました。

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