22足立亘[広島東洋カープOB]

2019年11月23日

足立亘(あだちわたる)
1968年1月生まれ。投手。右投げ右打ち。
1985年ドラフト5位でカープ入団。鳥取県立境高校。背番号63→22
プロ通算4勝11敗ながら、私が大いに夢を見た選手の一人です。

もくじ
■足立と言えばボー=ジャクソン
■日本シリーズ最後の男
■夢を見たんですよ


 

足立と言えばボー=ジャクソン

足立亘と言えばボー=ジャクソンです。

ボー=ジャクソン?誰それ?って人に説明します。

史上唯一NFLとMLBの両方でオールスターに出た男です。

言ってる意味わかります?

アメフトと野球の2つの競技でアメリカのトップに立ったという意味です。

打者と投手の二刀流どころではないのです。違う競技でトッププロ。

アメリカの4大スポーツはアメフト、バスケ、アイスホッケー、野球。この2つでオールスター出場。

はええ・・・アメリカってスゴいな。

 

実はMLBとNFLから両方ドラフトにかかる大学生というのは結構います。ボー=ジャクソン以後にも数人います。しかし「両方でオールスター出場」は他にいない。

1986年4月、大学生のボー=ジャクソンがNFLのドラフト会議で全体1位。大学MVPなので当然。

一方6月のMLBのドラフトでは下位指名を受ける。誰もがNFLに入団かと思いきや、彼は選手寿命の長い野球を選びました。んで9月に即MLB昇格。1ヶ月で2本塁打。

翌1987年のボー=ジャクソンはMLBで22本塁打。そしてまたもNFLからドラフト指名を受け「野球のついででいいなら」とNFL入団。1987年~ケガをする1991年までMLBとNFLの両方で試合に出続けました。9月までは野球、10月から1月のスーパーボウルまでアメフト。

こんなヤツは後にも先にも他にいません。

MLBでホームランを打った週にNFLでタッチダウンを決めた選手もいましたし、バスケの神様マイケル=ジョーダンがMLBでプレーしたりしましたが、そんなのと比べてはならないボー=ジャクソンの天才二刀流ぶりなのでした。

当時のアメリカ人でボー=ジャクソンを知らない人はいませんでした。

そして1986年10月、日本で津田恒美の豪球が旋風を巻き起こしていたころ。

フロリダの教育リーグにカープから足立亘(18歳)が参加。

ここで新人ボー=ジャクソン(24歳)と対決。

なんと足立はこの有名人を3打席連続三振に斬って取る。

「日本に足立あり!」と大いにアピールしました。

※ちなみに教育リーグとは令和の今日で言うところの「ドミニカのウィンターリーグ」みたいなもの。暖かい場所でメジャーの卵たちがしのぎを削る秋冬のリーグ戦ですね。

 

日本シリーズ最後の男

私が散々「まだかまだか」と待ち続けた足立の本格デビューはプロ入り6年目の1991年8月。

カープは星野中日とデッドヒートを繰り広げており、8月11日に足立亘が3ヶ月ぶり4度目の先発登板。

広島市民球場、対阪神戦。

なんといきなり9回2死まで無失点!!!

プロ初完封まであと一人。

ここで6番サード八木裕にツーランを浴びる。3対2。1点差。

山本浩二監督ベンチを出る。ピッチャー大野、背番号24。ピシャリと締めてカープ勝利。足立はプロ2勝目をマーク。先発初白星。

翌週の阪神戦もまた8回ゼロ。3勝目。

 

その後もローテの谷間を埋めて1991年のカープ逆転勝利に大貢献しました。

西武との日本シリーズで「足立が秘密兵器」と言われましたが、愚直な山本カープは沢村賞エース佐々岡を第1戦、4戦、7戦に先発させる心中作戦を展開。

足立亘もベンチにはいるが出番がない。

第6戦でリリーフ登板の川口和久が代打鈴木康友にレフト線を破られカープ敗戦。

第7戦も疲労困憊の佐々岡と川口が6回まで3失点と試合を作るが、7回裏に4番手5番手の北別府&川端が西武打線に打ちこまれ7対1。

 

誰もが試合を諦めた8回裏のカープの守備。

山本浩二監督は未来のホープ足立亘(23歳)をマウンドに送りました。

足立は石毛宏典、笘篠誠司、伊東勤を三者凡退2三振。ハナから出せよ山本浩二。

1991年の足立を最後にカープの選手が日本シリーズで登板することは25年ありませんでした。

絶頂期だった宮沢りえ(18歳)が衝撃のヌード写真集を出したのは足立の登板から2週間後のことである。

 

夢を見たんですよ

右サイドハンドですが足立の速球には角度とロマンがありました。変化球はヘッポコ。

もし足立のスライダーがいつも低めに決まっていたら15勝投手になれていたでしょうね。

 

夢を見たなあ。足立のストレート。

野球人生を賭けた1992年はオープン戦から調子が悪かった。

私は今の足立には無理だろうと思いましたが、山本浩二は期待を込めて足立を開幕ローテに抜擢します。

案の定1ヶ月で離脱。足立の穴を埋めたのは片瀬清利(28歳)。黒田博樹の前の背番号15。片瀬はこの年キャリアハイの7勝をマーク。

足立は翌93年も一軍登板はなく10月に日本ハムに金銭トレード。

94年、ハムでちょこっと投げてる姿を見ましたが自慢のストレートは全然球威がなくなっていました。

肩かヒジでも故障してたのでしょう。26歳で現役引退。

はあ・・・

夢がありましたよ、足立のストーレートには。

 

私が夢を見た選手ランキングというのがあるんですが、足立は余裕でランクインしています。

もしも「夢を見たストレート」だけに限定したランキングを作ると誰が1位だろう?

まあ普通に考えれば津田恒実なんですけど、私はルーキー時代の川口和久にも夢を見ましたねえ。

21歳の川口がまだ敗戦処理みたいな場面でもの凄いストレートを投げまくっていました。

この頃10歳だった私は

「オレと川口で江夏豊の穴を埋めてやる」

と早くも妄想にふけっておりました。

 

紀藤真琴のストレートも衝撃だったなあ。現役なら岡田明丈がナンバーワンストレート。

藤川球児とかヘロニモ=フランスアのような誰が見ても凄いストレートも凄いんですが、足立のストレートはサイドハンドから145kmがコンスタントに来るんです。

当時は「サイドハンド投手の球速は5km増し」なんて言われていて、1988年に巨人の斎藤雅樹がリリーフで活躍するまでは「常時140km超のサイド投手」は足立以外にいなかったと思います。角三男も速かったけど彼はmaxが145kmでした。

 

足立亘はこのような人たちと比較されるストレートを持ってました。

ええ、そうです。夢を見たんですよ・・・

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おしまい
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ありがとうございました。

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