16長冨浩志[広島東洋カープOB]

長冨浩志(ながとみひろし)

1961年生まれ。投手。右投げ右打ち。

1985年ドラフト1位でカープ入団。千葉日大一高→国士舘大→NTT関東。背番号16

通算464試合77勝77敗10S、ERA3.84。24歳でプロ入りして41歳まで17年間プレー。立派すぎる成績でした。

もくじ
■毛色の違う経歴
■津田より速い!
■プレースタイル
■木村拓也とのトレード
■モデルチェンジ色々


 

毛色の違う経歴

私の記憶では1984年までのカープはドラフトで西日本の選手を中心に指名してきました。

高橋慶彦を除く当時の主力メンバーのうち、ドラフト指名された選手の「最もイースタン」な出身地は西田真二と正田耕三和歌山県でした。静岡出身の長嶋清幸はドラフト外でした。

ドラフト1位で関東出身の選手を指名するのはたいへん久しぶりで、長冨は入団拒否された木田勇以来の関東出身ドラフト1位指名選手でした。

木田の入団拒否はオールドファンにとって苦々しい記憶。カープがドラフトで弱気になった根源。

 

千葉県出身の長冨。

「社会人ナンバーワン投手」という触れ込みと、あの生意気そうな風貌・・・

ホントに広島に来てくれるのか!?NTTを退職してまで・・・

木田の悪夢も頭をよぎりましたが、いつの間にやら無事入団。

記者会見ではカープ帽をかぶってニコニコしてたくらいです。嬉しかったなあ。いいヤツじゃないの、長冨って。

 

実は正直言うと長冨入団の経緯はあまりよく覚えていません。

テレビはPLコンビ一色でしたから。

桑田は巨人に入るのか?

清原は西武に行くのか?

 

ちなみに長冨は「NTT関東出身」ですが、入社時はまだ電電公社でした。

長冨、G広田浩章、S中西親志らは電電公社を知る最後のプロ野球選手であります。

さらにどうでもいい話ですが、関西出身の私は国士舘大学という名前を長冨入団で初めて覚えました。こくしかん大学。カッコいいな、強そうだなと思いました。サッカーや柔道が強い学校です。

1983年、長冨は国士舘大学時代にもロッテからドラフト3位指名されています。コレは知りませんでした。

 

津田より速い!

長冨のプレースタイルは何と言っても150km超の豪球ストレートが持ち味。一部では「長冨は津田より速い」と評価する向きもありました。

変化球はスライダーとナチュラルシュート、時々フォーク。

1986年のNPBにおいて先発で常時150kmのストレートを投げる投手は小松辰雄と郭泰源の2人だけでした。長冨が3人目。

155kmの槇原寛己はまだレギュラーではありませんでしたし、鈴木孝政と村田兆司は肘を故障中でした。

当時のプロ野球ゲームの中には長冨154km、津田152kmと設定されたゲームもありました。ストッパーの津田より速かった先発の長冨。

1987年のプロ野球ニュースでは「先発投手でボブ=ホーナーにストレートを投げていいのは長冨だけ」と言われ、実際にホーナーから来日初三振を奪ったのは長冨でした。長冨と対戦するまでのホーナーは4試合で11打数7安打6本塁打でした。

 

1986年は名将古葉竹識が勇退し、阿南準郎を新監督に迎えたシーズン。

この時期のカープは投手王国と呼ばれるほど投手陣が充実していました。

リリーフには進境著しい津田恒美を抑えに据え、前年新人王の川端順とサイドスローに転向した清川栄治。

先発陣は大野豊山根和夫をケガで欠くものの若い高木宣宏、金石昭人、白武佳久らを抜擢。

エース北別府学川口和久はバリバリの全盛期。

長冨のライバルたちはかくも強烈だったのであります。

1年目の長冨はロマンの塊でした。長冨も投手王国の柱の一本でした。

 

1986年発売のナムコ・ファミリースタジアム。通称ファミスタ。

この大ヒット作品に新人王・長冨浩志は登場しません。きたへふおおのかわくちつだ。残念だったけどかくも厳しい投手王国なのでした。

 

プレースタイル

若かりし日の長冨はワインドアップで投げる正統派オーバースロー。

投球フォームもカッコ良かったです。守備も打撃も牽制もまずまず上手でした。

長冨のクセ「右手で帽子をかぶり直す仕草」をよくモノマネしてました。

ツバを持たず帽子のてっぺんを持ってかぶり直すあの仕草。カッコ良かったです。

 

1年目の1986年には10勝2敗2Sで新人王に輝き、リーグ優勝に大きく貢献。

日本シリーズでも第3戦と第7戦に先発。ともに5回1失点でした。

ルーキーで日本シリーズの第7戦に先発したことは大偉業です。

新人で日本シリーズ第7戦に先発登板したのは長冨が史上初でした。2人目が2003年の和田毅(ダイエー)。

 

2~3年目は故障もあって伸び悩みました。

4年目。1989年から山本浩二新監督。前年不調だった津田に代わり長冨は開幕戦でクローザーを務めるもセシル=フィルダーに決勝被弾。

その後は先発で起用されプロ初の規定投球回と3年ぶりの2ケタ勝利(10勝)をマーク。

5年目。1990年も11勝を挙げて2年連続2ケタ勝利。

 

6年目の1991年、長冨はついに開幕投手を務める。

いつまでも北別府(33歳)と大野豊(35歳)に頼っていられないカープ。

山本浩二監督が新時代に懸けた新しい開幕投手は29歳の長冨でした。

私は「次のエースは長冨じゃなく2年目の佐々岡真司(23歳)だ!」と騒いでましたけど。

ご存じ、この試合は前田智徳(19歳)が先頭打者でプロ初ホームランを打った試合。引き分けだったので長冨に勝ち負けは付きませんでした。

このシーズン、カープは5年ぶりにリーグ優勝。長冨は5勝止まりで日本シリーズの登板もありませんでした。

 

長冨は1991年以後も勝ったり負けたりのピッチングが続きます。いわゆる「10勝10敗投手」でした。

とは言え長冨の通算77勝77敗はプロ野球選手としてたいへん立派な成績。

とりわけ通算35完投(9完封)は非常に長冨らしい数字です。ここ重要。

前田健太がカープ在籍9年間で残した数字は28完投(10完封)。

時代が違うとはいえ長冨は通算161試合に先発し35完投。完投率は21.7%。佐々岡が通算21.8%で、黒田博樹が25.8%(NPB限定)。

長冨は歴代エースと同程度の完投能力だったのです。北別府29%、川口28%、G江川43%、G斎藤38%ですけど長冨だって負けてませんっての。

 

木村拓也とのトレード

1995年、34歳のシーズンに日本ハムとトレード。

紀藤真琴(29)が復活したり、近藤(29)望月(26)片瀬(30)らが台頭。ベテラン長冨は徐々にチームの構想から外れていきました。

金石昭人(34)のいる日本ハムに移籍するのも何かの縁か。

交換相手は外野手の木村拓也(22歳)

「誰、この小さいヤツ?」

がキムタクへの第一印象でした。

 

長冨は日本ハムではほぼ全試合をリリーフで投げました。

故障もありましたが3年間で136試合170イニング、10勝9敗4セーブ、ERA3.15

34~36歳の3年間でこの成績。立派です。

私は長冨を地味に応援してました。山根和夫が西武で最後にチラリと輝いたことを思い出しました。

 

んで36歳で日本ハムから戦力外通告。1997年。

私は「そうかそうか。長冨が36歳までプレーできたなんてよく頑張ったな、良かったなあ」と思ったら、なんとまさかの福岡ダイエー入団。

1998年のダイエーは20年ぶりにBクラス脱出。

1999年は松坂大輔(18)フィーバーをよそに福岡移転後初優勝!

2000年もダイエー2連覇。長冨浩志はこの年40歳にして15年ぶり日本シリーズ登板を果たしました。

ONの前で清原との対決は再現できませんしたが三者凡退。立派です。

 

モデルチェンジ色々

カープ最終年あたりから長冨浩志は毎シーズンが「がけっぷち」でした。

35歳を過ぎた長冨はプロ野球生き残りを懸けて様々なモデルチェンジを図ってきました。

1995年 オーバースローからサイドスローに転向

1997年 背番号13→背番号0。登録名ながとみ→「ながどみ」

1997年のモデルチェンジが一番謎でした。笑

1998年 ダイエーに移籍後はまたオーバースローで投げ始めました。ストレートは最速130km。

 

カープでは浩二、衣笠とチームメイト。

日本ハムでは落合博満、ガッツ小笠原とチームメイト。

ダイエーでは秋山幸二や工藤公康とチームメイトで城島健司の育成にも一役買いました。

ハムとダイエーの6年間でイチローにはボッコボコに打たれました。

ぜーんぶ素晴らしい思い出です。

 

2002年に41歳で現役引退。

勝ち星だけでは計れない長冨浩志の素晴らしきプロ野球人生でした。

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おしまい
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ありがとうございました。

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