高橋慶彦のおかげで「2回目のカープファン」になりました

2020.10.2(金)

ヤクルト 5-7 広島 神宮

なんか今年はさ、佐々岡のアホ采配で負けまくってさ、

私もついカープファンをやめると言ったり、神様になると言ったり、悔しくて錯乱して迷走したけどさ、

やっぱりカープの応援を続けますよ。

私はもう一度、カープファンになる。そう決めました。


 

42年前のあの日

1977年の9月3日、読売巨人軍の王貞治が後楽園球場で通算756号ホームランを打ちました。世界新記録です。

私はこの試合を生では見ていません。しかし「その瞬間」は何百回も見たと思う。だって毎日テレビで王のあのバンザイをリプレイしてましたから。

そんな国民的ヒーローに私は「ふーん」と思うだけでした。なんか本能的にテレビでやってることはウソくさいって知ってたからです。

いくら王さんが「ナボナはお菓子のホームラン王です」って言っても、小学生の私にはお口の中にしみ通るパルナスの方が好きでした。

1978年1月に始まったのは「ザ・ベストテン」黒柳徹子と久米宏。

この番組はピンクレディーのための番組で、我らの中島みゆきちゃんはアホらしくて出演を拒否。恋人だった松山千春も追随。

ピンクレディーは毎週1位。1978年3月にはサウスポーを発表。まーた王貞治かよ。もういいよ、王と北の湖はもう飽きたよ。UFOは好きでしたけどサウスポーはもういい。二番煎じです。

そりゃ私もサウスポーをUFOみたいに踊ったけど、あれはクラスのみんなに付き合ってやっただけ。カメレオン・アーミーの頃にはすっかり醒めてました。ゴダイゴのファンになってました。

 

私はこの頃すでに、両親が巨人ではない赤いチームを応援していたことを知ってました。

へえ、巨人以外に野球のチームがあるんだ。広島カープか。広島ってじいちゃんが住んでるあの広島のことか?なるほど、だから応援してるのか。

山本浩二に衣笠か。あの26番はカッコいいな。へえ、王貞治から三振取ったよ。

あの20番は男前だけどほっぺたが赤いな。たぶん鹿児島の人間だろう。ほら、やっぱりね。

 

空白の一日

残念ながら慶彦を初めて見た時のことはもう覚えていません。

なんせ小学2年生の頃ですから、まず盗塁を知りません。三振とホームランしか知りません。

浩二、江夏、衣笠、北別府、水谷、ライトル、ギャレット、池谷の順番で選手を覚えていきました。

もしかすると1978年はまだ慶彦を知らなかったかもしれません。

そしてシーズンオフ。

上田監督の2時間の猛抗議を見た数日後、突然巨人が江川卓と契約したという大ニュースをぶっ込んできました。

これはかなり驚いた。王さんの756号より驚いた。

当時の私は慶彦を知らないが、江川は知っていました。だってテレビが毎日エガワエガワでしたから。

 

なんだ。

王も長嶋も全部ウソだったんだ・・・

巨人のやること全部インチキなんだ。八百長なんだ。

小学2年生の時の「空白の一日事件」が私の人格を決定づけました。

巨人は悪でテレビは嘘だと知りました。

慶彦を知ったのはその翌年です。1979年。33試合連続ヒット。

 

32年ぶりに慶彦が帰ってくる?

その高橋慶彦が昨日、インターネットの野球コラムで

「バスケがしたいです・・・」

じゃなくて

「カープでコーチがやりたいです」

と衝撃の告白をしました。

 

よく言った、慶彦。

あとは俺に任せろ。

世論を作って慶彦ヘッドコーチの機運を盛り上げてみせるぜ。

常連さんにもご協力をお願いしますよ。

 

「緒方の母は緒方を二度産んだ」とは三村監督の名言ですが、

高橋慶彦はアタシを二度カープファンにしてくれましたよ。

1回目は1979年。2回目は2020年。感動したよ。

黒田の復帰は7年ぶり。慶彦の復帰は32年ぶり。いいじゃないの、黄金時代みたいでさ。

 

昨日のヤクルト戦

慶彦の文春コラムでは「カープに帰りたい」以外にもとても重要なことが書かれています。

それは「プロ野球選手は個人事業主である」ということ。

最下位だろうが、ボロ負けだろうが、「テメーはテメーの仕事をキッチリ最後までやれ」とのこと。

 

くーーーー

シビれるぜ。

 

当たり前のことって言うけど、慶彦に言われると背筋がピンと伸びるのです。

それを読んだか聞いたか知らないが、昨日の床田寛樹は背筋がピンと伸びてたような気がします。

名コーチ、鬼軍曹の香りがプンプン漂いますね。

 

「林晃汰を上げたんならすぐ先発で使わんかい!」

とか佐々岡にもぶっ放してもらいたいですねえ・・・一軍ベンチで。

 

古き良き広島野球

高橋慶彦って「古葉監督と衣笠祥雄と江夏豊」が作り上げた作品だと思うんですよ。

なんかねえ、令和と平成のぬるい野球、計算されてデータ化されたセイバーメトリクス。

こういうのと高橋慶彦は別の場所にいる気がするんですよ。別の野球。

古いって意味じゃなく、ヤクザというかケンカというか。

慶彦はチームメイトみんなと仲良しじゃないんですよ。vs正田とかvs北別府とか色々ありました。

ケンカばっかりの野武士軍団だったんですよ、1980年代の広島カープは。

西鉄ライオンズは知りませんが、近鉄バファローズはけっこう野武士でしたねえ。

 

こういうチーム、今はありませんよね。

なんなら相手チームとも仲がいい。

みんないい子ちゃん。ゆとり教育のおかげですかね。

 

菅原文太の「仁義なき戦い」は置いとくとしても、やっぱり男は相手に舐められちゃダメだと思います。

戦後75年。カープ70周年。

70年のうち50年くらいはBクラスだった広島カープ。

それでも前を向いて立ち向かった男たちの歴史がカープの歴史。広島死闘編。

慶彦はコラムの中で「消化試合なんかない」とも言っています。

チームが勝とうが負けようが最後まで戦え。

ハイ。わかりました。

神になるとかアホなこと言って、スミマセンでした。

私も最後まで戦いますよ。

 

慶彦ヘッドコーチを実現させたい

昭和のケンカ野球を知ってるOBも少なくなりました。

ケンカとか殺すって言っただけで若き巨人ファンは大騒ぎしますからね。

梶原一騎の侍ジャイアンツを見てみなさい。バッターがピッチャーに折れたバットをワザと突き刺すんですよ。んでピッチャーはそのまま試合続けるんですよ。笑

 

今年のカープでこんな場面がありました。

7月16日の巨人戦。

東京ドームで高橋大樹がライトフェンス直撃のいい当たり。巨人のライトがクッションボールを上手く処理して2塁へ送球。

送球は走者の進路と重なり、ベースカバーの坂本が走路に侵入。

高橋大樹はとっさに坂本にケガさせないよう進路を外れてあげました。

坂本のタッチは1度空振りに終わるんですが、バランスを崩した高橋大樹は2塁ベースを行きすぎてしまい、坂本が2度目のタッチで今度はアウトになりました。

 

高橋大樹はフェアプレー。

坂本も「それはそれ、これはこれ」の精神で至極真っ当なプレー。タッチアウトは当然です。助けてもらったお礼などプレーの中ではできない話。

だが私はこの時、大樹に

「坂本をぶっとばせ」と言いました。だって走塁妨害だもん。

大樹はこの後二軍落ち。以後一軍に呼ばれていません。佐々岡の怒りを買ったわけではないと思いますが、この時に坂本をぶっ飛ばして2塁セーフなら今頃大樹は大盛の代わりにセンターを守ってるかもしれないのです。

大樹のシーズンオフがどうなるか。トレードもクビも可能性ありますよ。

 

野球選手は個人事業主で最後は個。

時には味方も敵なのです。ましてや巨人はいつも敵。ぶっ飛ばさないといけないのです。

 

ということで話が長くなりましたが、今日から2ヶ月間に渡り、高橋慶彦の

ヘッドコーチ就任プロジェクトを立ち上げてシリーズ化します。よろしくお願いします。

なぜかこのブログの読者の皆さんは慶彦が大好きなオールドファンの方が多いです。

 

ブログを汚しに来る巨人ファンは若い方が多い。笑

その理由はカープが長い間応援できるチームで、巨人は大人になればファンが去って行くチームだからです。

私は慶彦に言われたので目が覚めました。

最後まで諦めずに応援します。

まずは今シーズンの優勝を目指して頑張ります。33連勝すればいいんでしょ。慶彦と言えば33。

おしまい
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ありがとうございました。

-雑感

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