65久本祐一 [広島東洋カープOB]

久本祐一 (ひさもとゆういち)

1979年3月生まれ。投手。左投げ左打ち。

2001年ドラフト4位で中日入団。柏原高→亜細亜大→河合楽器。背番号19→61→65

通算248試合12勝8敗3S、346回1/3、ERA3.38。

もくじ
■中日時代
■前田智徳との縁
■エピソードの数々
■カープに復帰


 

中日時代

久本は亜細亜大学出身。

亜細亜大の2個先輩が赤星憲広で、2個後輩が永川勝浩と木佐貫洋。

卒業後は浜松の河合楽器に入社。2001年に野球部の廃部が決定したため特例措置で社会人在籍1年で中日からドラフト4位指名されました。これはドラフト史上初めてのケースとか何とかで当時かなり話題になりました。

なお、この時、中日は同じ河合楽器の山井大介も6位で指名しています。

山田久志新監督の期待値も高くドラ4なのに背番号は19をもらいました。

2002~2005年、若き久本は敗戦処理でシブく活躍しましたが、同じ時期に同じタイプの岩瀬仁紀が圧倒的支配力を発揮していたため、なかなか勝ちパターンで起用されることはありませんでした。

2005年のオフには希望獲得枠でトヨタ自動車のエース・吉見一起が入団。

久本の背番号は61へと変わりましたが、落合監督の信頼は変わりませんでした。

久本は中日時代にリーグ優勝4回と日本一1回を経験していますが、2008年と2009年はケガで登板ナシ。

2010~12年は3年間で21試合登板にとどまり、ついに戦力外通告を受けます。久本は33歳でした。

そこへカープが獲得オファー。久本は前監督の落合博満に相談してカープ入団を決意したらしいです。

 

前田智徳との縁

当時のカープファンは33歳の久本を割と歓迎ムードでした。

50年ぶりの日本一に貢献したピッチャーですし、20代の頃は150km出てましたから。

しかし30代の久本は故障がちで、特に故障後は球威もコントロールも良くありませんでした。

球種も意外に少ない。スライダー、フォーク、チェンジアップ。max145kmくらい。背も低くて手足も短い。

 

ネットのカープファンは「先発もリリーフもできて便利」と喜んでましたが、私は「どっちも中途半端で使えない。せいぜい敗戦処理」と思ってました。

しかし2013年のキャンプ紅白戦で久本は案外活躍します。

んで2月17日のWBC日本代表vsカープの練習試合。4回ウラに登板した久本は日本代表を三者凡退。続く5回表、日本代表のピッチャーは山井大介。河合楽器の元同僚。カープは2番ショートの菊池涼介と3番ライトの鈴木将光が連続タイムリー。山井をKOしました。

 

そんなこんなで自由契約からカープ入りした久本祐一はなんと3月30日の開幕2戦目に先発。G菅野智之と投げ合い延長12回を1対1で引き分けました。久本は4回0失点。

この年久本は43試合に登板しました。84イニングはキャリアハイ。

ちなみに42試合目の登板は前田智徳の引退試合でした。

ヤクルト戦での死球骨折以後、前田は6ヶ月間打席に立っていませんでした。

10月3日の中日戦、8回裏に前田は代打で登場。無様なスイングでピッチャーゴロに倒れました。

「そりゃそうだよ、ここでいい当たりを打てるなら引退しませんよ」

と私は思いました。

誰もが前田の姿はこれが最後だと思いきや、マツダスタジアムに「ライト前田」のアナウンス。

これは驚いた。ビックリしました。

この時、マウンドにいたのが久本祐一その人でした。

思えば旧広島市民球場で前田が2000本安打を打った相手もD久本祐一でした。

 

ピッチャー久本と打者森野、打者平田はライトの前田を狙います。

もちろんフライを捕ってもらおうという意味です。マツダのカープファンも外野を走り回る前田を暖かく見守りました。

当の前田は「勘弁してくれよ」って顔でしたが、私は前田の最後の姿をたっぷり見られてとても嬉しかったです。

2013年、カープは球団初のクライマックスシリーズ進出。

久本はCSでも3試合に登板しました。

 

エピソードの数々

久本は中日で11年、カープでは4年間の現役時代を過ごしました。

カープでの在籍期間は短いながらも数々の珠玉のエピソードを残しております。

最も有名なものは石原慶幸の「一握の砂」

2013年5月7日のDeNA戦。久本のワンバウンド投球を石原慶幸が弾いてボールを見失います。その時、石原がボールを持たないで一塁走者を牽制したという伝説の珍プレー。

マウンドの久本は石原に「ボールはそこだ!」とアピールするも、バッターボックスの白いライン上に落ちている白いボールに石原は気が付きませんでした。

石原はとっさに砂を握って、一塁へボールを投げるフリをすると走者石川は走ることができずに一塁へ戻りました。

慌てた久本がバッターボックスまで降りてきてボールを拾い、事なきを得たという珍プレーでした。

 

2014年1月には久本(35)がプロ2年目の菊池涼介(23)と戸田隆矢(20)を合同自主トレに誘い体幹トレを敢行。

当時「投手と野手」という組み合わせも珍しければ「12歳差」も珍しく、この珍コンビ結成はかなり意外な組み合わせでした。

しかし菊池は翌年プロ入り初めて打率3割をマークするなど活躍。以後も菊池はカープ3連覇に大いに貢献します。

戸田について久本は当時ボルチモア=オリオールズのチェン=ウェインと比較して「これまでに見た投手の中で3本の指に入る」と絶賛しました。

 

また久本は「Aクラス請負人」とも呼ばれていました。

中日ドラゴンズ1年目の2002年以来ずっと「Bクラスに落ちたことがない」ことで有名でした。

久本入団した2013年のカープは16年ぶりのAクラス入りを果たし、2014年も2年連続Aクラス。

久本がトミージョン手術で育成契約となった2015年のカープはBクラスで、支配下に返り咲いた2016年は25年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

2016年限りで現役を引退すると、打撃投手として中日へ復帰。

すると2020年、中日ドラゴンズは8年ぶりにAクラスに返り咲きました。

 

カープに復帰

そんな久本が再び2021年から打撃投手としてカープに復帰。

2019年と2020年、2年連続Bクラスに沈んだカープにAクラス請負人が帰ってきました。

2020年8月、久本がラジオ番組で当時活躍中だったカープの塹江敦哉(23)について「彼の能力はまだまだこんなものじゃありませんよ」と語れば、塹江は8回のセットアッパーに昇格。オフには年俸が倍増しました。

このように久本祐一は仲間への愛とリーダーシップ、能力を見抜く眼力などに優れた名投手でありました。

 

この記事は2021年1月に書いたものですが、2021年は親友・菊池涼介が復調したり、ブレイク前の左腕・高橋昂也や高橋樹也への好影響も期待できると思います。

久本は現役時代、先発完投でもリリーフの勝ちパターンでもありませんでした。

彼のポリシーは「身を粉にして働く」「チームの足りないところを補う」でした。

こういう「シブい脇役」も強いチームには欠かせないバイプレイヤーです。久本は近い将来、良い指導者になると思います。

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おしまい
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ありがとうございました。

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